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10月19日 講談協会 日本橋亭夜席

朝から冷たい雨が降り続く。なんでも10月としては30年ぶりの寒さだとか。演者さんがなにやらピリピリしたムードであるように感じたが気のせいか?

★★★講談協会日本橋亭夜席(お江戸日本橋亭 17時30分開演)

●一龍斎貞奈 三方ヶ原軍記
●宝井琴屯 御子神典膳 甕割り
●田辺凌天 一休の器
●宝井琴柑 金色夜叉
●田辺一乃 楠木の泣き男
 ◇楠木正成公は赤坂千早城へ移る際に家来を増やそうと、一芸に秀でたものを募集することになり堺の町に高札を立てた。次々と男たちが集まり、神宮寺太郎左衛門が選考する。水練が得意な者、木登りが得意な者。一人、人を泣かせるのが特技だという者が現れた。物語を語るとどんな人でも泣いてしまうという。さっそく姥捨山の話をすると太郎左衛門が泣いた。感心した太郎左衛門は男を特別に正成公に会わす。この男は杉本村の百姓の佐兵衛という。正成公には帝の座を乗っ取ろうとする弓削道鏡を阻止しようした忠臣の和気清麻呂が、大隅国へ流された話をする。やはり正成公はホロリと涙を流す。泣き男は当家に召し抱えられることになった。
 これを聞いた八尾の兼好坊は、面白くない。佐兵衛を呼び、自分は生まれてこの方泣いたことがない、この私を泣かせてみろと言う。もし泣かせることが出来なかったら、十二貫目の金棒で頭を粉々に打ち砕くと言う。逆に佐兵衛が泣かせられたら、兼好坊が命の次の大切な大小(刀)を渡すことになった。
 佐兵衛が兼好坊に語った話。昔、都から離れた山の上に一人のお坊さんが庵を結んで、ありがたいお経を唱え、また講義をしている。ある時、目が鋭く髭を蓄えた男がこのお坊さんの講義を聴いていた。男はお坊さんに実は私は山上に住む龍であるのだが、あなたの尊い御仏の教えを学びたいと言う。こうしてお坊さんと龍の男は無二の親友となった。
 その後、国では日照りが続いている。帝はお坊さんに頼み、龍に雨を降らせて貰いたいという。しかし雨を降らすかどうかは、天の神様が決めることであり、龍が勝手に雨を降らすわけにはいかない。しかし龍はありがたい教えを説いて頂いたお坊様の言うことだからと地上に雨を降らせる。シトシトと暖かい雨が降る。しかし、掟を破ったことで龍は山の上の池で八つ裂きにされてしまう。龍の血で紅色になった池の水を見ながら、いつまでも泣いていたという。
 ここまで佐兵衛は話したが、兼好坊は泣かず、佐兵衛の頭を砕こうとする。佐兵衛はあと一言話させて欲しいと言う。実は自分は元は百姓などではなく大崎小次郎という侍であり、父親の仇である高時入道を討ちたいがここで兼好坊様に殺されてしまうのではそれも叶わない。兼好坊様に、私の代わりに入道の命を取って欲しいと頼む。兼好坊は約束したと言ってポタポタ涙を流した。佐兵衛は今のは作り話であり、やはり自分はただの百姓であると明かす。さすがと兼好坊も感心し、佐兵衛に大小を与える。
 この後、杉本佐兵衛は敵の大軍を欺き、大きな手柄を立てたという。
●宝井琴柳 大岡政談 五貫裁き
 <仲入り>
●神田春陽 越の海の稽古相撲
●一龍斎貞寿 次郎長と伯山
 ▽村上元三の作で、六代目貞丈のためラジオ放送用に書かれたドラマ風の講談。六代目貞丈は、貞寿さんが見習い期間を終えて前座になったまさにその日に亡くなったとの事。この話は六代目貞丈から弟子の貞心先生へ、そしてそのまた弟子の貞寿さんへと受け継がれている。
 ◇明治初期の話。10年ぶりに清水次郎長の元を訪ねたのは、松廼家京伝(まつのやきょうでん)という旅回りの講釈師。「東海遊侠伝」という次郎長について書かれた本を見つけ、懐かしくて久しぶりに会いに来たと言う。この本を書いたのはかつて次郎長の世話を受け、今は新聞記者をしている天田五郎という人。次郎長が60歳になるまでの半生を一冊の本に纏めた。次郎長は京伝に自分について書かれた本があるなら、今度はお前が俺のことを話にしてみろと勧める。京伝は「遊侠伝」さらに、次郎長の子分から話を聞き取りながら点取り(講談の要所要所を記したメモ書き)にまとめる。
 明治26年春に次郎長は体調を崩し、冷たい雨の降る6月13日この世を去る。梅蔭寺での葬儀には3千人という参列者が訪れたという。墓の前で、京伝は次郎長親分の話の作成が間に合わなかったことを詫びる。
 東京の端席に出演した京伝は自らが作り上げた次郎長の話を演じるがこれがまるで面白くない。明治33年、身体を壊し語る気力も無くなった京伝は寄席の下足番になった。
 ここに神田小伯山という30代の若手ながら、将来が期待できる講釈師がいる。小伯山の才能に目を付けた京伝は、鳥越にある彼の自宅を訪ねた。大切にしていた「東海遊侠伝」の本と自分が書いた点取りを見せ、これをあげるので是非これを面白い話に作り上げ、小伯山に演じてほしいと頼む。感じ入った小伯山は、鳥越の自宅近くに京伝を住まわせる。 小伯山は伯山の名を継ぐことになった。両国での披露目の興行は一か月も続く。この間に京伝は酒の上から喧嘩をし警察に連れていかれるが、伯山が身元引受人になり釈放された。伯山に顔を合わせづらくなった京伝は鳥越の家を出、行方知れずになる。一方、伯山は「森の石松」という愛すべき架空の登場人物を加えるなどの工夫をし、次郎長の話を作り上げる。明治41年、両国の福本亭で初演されるとたちまち大評判になる。当初は「名も高き富士の山本」という演題で演じられたが、客の間からは「清水次郎長伝」と呼ばれ、いつしかこれが正式な演題になる。伯山は近辺から客を奪ってしまうことから「八丁荒らし」と呼ばれるようになる。
 次郎長の十七回忌の年、伯山一行は熱海の梅屋という宿屋に泊まっていた。宿で風呂番をしている京伝と偶然にも再会する。すっかりやせ細り哀れな姿の京伝を見て、伯山は是非彼に自分の次郎長伝を聴かせたいと思う。急遽興行主に話すと、この熱海の地での公演が決まった。3日間の興行で溢れんばかりの客が詰め掛け、一番うしろの席で京伝はその高座をジッと見つめている。終了後、京伝はつまらない話をここまで面白くしてくれた事に礼を言う。また伯山も京伝にいくら感謝してもしきれない自分の気持ちを伝えた。もう先の長くない京伝は、自分が死んだらあの世から客を連れてくるからと言って、2人は別れた。
 それから間もなくして、東京に戻った伯山は梅屋から京伝が亡くなったことを聞かされる。その日の公演も客はぎっしりである。演じている途中、ふと見ると一番後ろの席に京伝が座っている。もう一度よく見ると消えている。今日の客は京伝があの世から連れて来てくれたのではあるまいかと思う伯山であった。
 (20時37分終了)


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