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10月15日 本牧亭講談会@御茶ノ水、凌鶴の会@新宿永谷

★★★本牧亭講談会(御茶ノ水・太陽 13時23分開演)

●宝井琴屯 三方ヶ原軍記
●宝井梅湯 関東七人男 林蔵 高坂の斬り込み
 ◇正月元旦、林蔵は親分の久五郎の家を訪ね、死んだら骨を拾ってもらいたいと言う。昨日、弟分の浅吉の家に高坂藤右衛門が乗り込み、浅吉の左腕をへし折ったので、その仇を討ちに行くと言う。藤右衛門には子分もたくさんいるからとなだめる久五郎だが、血の気の多い林蔵は頑として敵討ちにいくといって聞かない。久五郎は、今日はめでたい日だから明日を喧嘩初めにしようと言い、久五郎も一緒に行くことになる。久五郎の女房もこれを喜ぶ。
 2日、家で待つ久五郎だが、林蔵は来ない。数軒年始詣りに行き、帰ってきても林蔵はやはり来ていない。久五郎はひとりで高坂の町へ乗り込む。途中、明神の社の神主、大島筑後と会う。大島は藤右衛門を世話したことのある身であり、久五郎は一言断ってから藤右衛門の家に斬り込もうと思っていた。大島は「あんな恩知らずな奴」と言いながら、藤右衛門には用心棒や子分が大勢いるので一人で乗り込むような真似はやめた方が良いと言う。
 藤右衛門の家の玄関先。藤右衛門は久五郎が一人で来ている事を探らせ、油断して長脇差を外して玄関に出る。一昨日の浅吉の件を厳しく責める久五郎。この様子を聞いた藤右衛門の女房、お常は玄関の藤右衛門に長脇差をそっと渡す。しかし久五郎は神道無念流免許皆伝という腕前。あっという間に藤右衛門を斬る。藤右衛門の用心棒2人、子分30人あまりが久五郎に次々と斬り込もうとする。久五郎の腕がいくら優れていても、敵の数はあまりに多く次第に疲れ、額の汗で前が見えなくなりつつあった。
 一方、林蔵は昨夜は早くに寝、今朝に備えていたのだが、刀を入れたタンスを父親に鍵をかけ、取り出せないでいた。なんとか刀を出して高坂へと駆けだす。藤右衛門と合流した林蔵。2人で子分を10人、用心棒を2人斬り倒し、あとのものは逃げ出した。
 ここで御用だ、御用だの声。2人は召し捕りになった。しかし、藤右衛門の正体が、溝呂木村の新太郎という男で、沼田の牢を破り、澤瀉屋という家の5人を皆殺しにした極悪人であったことが露見する。残された澤瀉屋の親族の願いもあり、久五郎と林蔵は赦免される。この後、跡目を継いだ林蔵はますます男を上げる。そして今度は賭場の件で高萩の猪之松と対立し、斬り込むことになる。
●神田すず 太閤記 清洲城の普請工事
 ◇尾張半国を領していた織田信長。永禄2年8月、暴風雨がこの地を襲い大手門横の石垣が120間(約230m)に渡って崩落。折しも今川方が上洛の際この清洲城横を通過する予定があり、この隙を攻め込まれてはもうなす術が無い。家臣の山口九郎四郎が普請奉行となり、陣頭指揮を取って石垣の修復を勧め。また九郎四郎の父親は山口左馬之助といい、今川方の領土に隣接する鳴海城の城主である。普請工事は3ヶ月経った10月末になっても10分の1も終わらない。これは怪しいと思った木下藤吉郎。信長に対して、山口親子が今川方と密通していること、なので工事をわざと遅らせていると注進する。さらにとある策略を提案し、信長もこれを受け入れる。
 信長が鷹狩に赴く際、普請現場で足を止める。織田方の情報を今川方に渡していると山口九郎四郎を問い詰め、さらに3ヶ月経っても一向に工事が進まないことを理由に人足たち全員の命を取るとして、鉄砲隊100人に銃口を向けさせる。両手を着いて震え上がる職人たち。ここで木下藤吉郎が登場し、自分が普請奉行になって3日で工事を終わらせると言う。人足たちは命を救われ、藤吉郎に感謝した。
 藤吉郎は、120間の工事範囲を1間ずつ、120ヵ所の区域に分け、一ヵ所に6人ずつの職人を配置する。一ヵ所だけでも工事が終わらなかったら連帯責任にするとした上で、1日につき5日分の手間を払うという。翌日、朝早くから職人たちは工事に取り掛かり、2日半で普請は完了した。こうして、天下取りの第一歩を踏み出したという。
 <仲入り>
●柳家緑君 蛙茶番
●田辺一乃 梅若塚の由来
 ◇京の北白川に住む公家の吉田少将。班女(はんにょ)の舞という妻がいるが、子がいまだない。日吉の山王権現に祈願すると元気な男の子を授かり、梅若丸と名付ける。7歳の時、比叡の山で学問を学ばせるが、やがて父親の吉田少将が病の床に着き、やむなく家へと戻る。吉田少将は、義弟の松井源五郎とその家来である粟津六郎、山田三郎に、この吉田の家を梅若丸に譲るので協力して盛り立ててくれ、後は任せたと言い残してこの世を去る。
 松井源五郎は、お家乗っ取りを企み、山田三郎に相談、梅若丸殺害の策略を企てる。さらに粟津六郎にこの話を持ち掛けるが、粟津は頑として応じない。松井は梅若丸を亡き者にしようと家来300人で吉田の家を攻める。吉田の側には50人ほどの家来がおり応戦するが、多勢に無勢でとてもかなわない。粟津六郎は吉田の屋敷に火を放ち、混乱に乗じ梅若丸と班女(はんにょ)の舞を脱出させる。
 坂本をめざし、一人梅若丸が歩いていると、一人の商人風の男が話しかけてくる。行く方向が同じだとこの男に道案内を頼み、2人一緒に山道を歩く。途中梅若丸は月の出る方角から、目指す坂本とは別の方向へ向かっていることに気づく。この男は人買いであった。雅で品のあるこの少年なら、「みちのく」で高く売れるだろうとグルグル巻きにし、陸奥国・白河へと向かう。
 一方、坂本へは先に班女の舞が到着していたが、いつまで経っても我が子は来ない。京へ戻り、梅若丸を探すと、駿河路で気品のある子どもを連れた人買いに出会った、その男はみちのく訛りの喋りをするので、陸奥の白河へ向かっていたのだろうという情報を得る。班女の舞は、「梅若丸や」と気も狂わんばかりに声を張り上げながら、東海道を東へと向かう。
 隅田川の河原から舟に乗ろうとすると、向こう岸から鐘を叩き念仏を唱える声がする。渡ってみると小さな塚があり、人々がそこで念仏を唱えている。班女の舞は誰の墓かと尋ねると、ちょうど1年前、人さらいに遭った子供1人が病で行き倒れになっていた。その子は自分が死んだら柳の木を植えてくださいと言い残し絶命した。その子はきれいな顔立ちで歳は12で梅若丸という名だったと言う。それは間違いなく我が子であると嘆く班女の舞。一心不乱に念仏を唱える。やがて髪を切り落とし尼になり、梅若塚で菩提を弔うのであった。 (15時53分終了)

★★★新宿田辺凌鶴の会(新宿永谷ホールF-+ 18時33分開演)

●田辺凌天 一休の器
 ▽京都・大徳寺での茶会。将軍・義満の所持した天下の名器「蛇目の茶碗」を寺の小僧がふざけていているうちに割ってしまう。どうにかしてくださいと頼まれた一休。
●田辺凌鶴 西行 鼓ヶ滝
 ▽講談でも落語でもよく掛かるポピュラーな話だが、最初の歌の「白百合の花」という部分でオヤ?と思う。鼓ヶ滝に咲いていたのは、タンポポではなく白百合の花だった。それが技巧に走るあまり…、と最後の部分に繋がっていく。掛詞だらけの歌では「言葉遊び」みたいで逆に興覚めしてしまうというのも事実であると思う。
 <仲入り>
●田辺凌鶴 島野修
 ▽1968(昭和43)年のドラフト会議。本命視の星野仙一を退け1位で巨人に入団した島野修。しかし全く活躍できないまま1976年には、阪急へ移籍。1978年には現役を引退した。結局、選手生活の中で投手として1勝しか挙げられなかった。その後、球団のマスコット人形「ブレ―ビー」の中に入る役を与えられる。「ドラフト1位選手の転落」と心ない野次も多い。しかし島野は身振り手振りをよく研究し、誰にでも愛されるキャラクターへと成長していく。
 (20時12分終了)

171015新宿凌鶴の会 - コピー


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