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9月30日 佐野市葛生の名所・史跡巡り

 落語・講談の鑑賞は夕方からなので、日中は佐野市の中心部より電車で15分ほどの葛生(くずう)の町を歩きました。葛生と言えば、鉱山の町で石灰石の産地。かつては東武鉄道を使って運ばれたものの、現在ではすべてトラック輸送に切り替わっています。葛生の町から、謡曲(私はよく分からない)、講談でお馴染みの「鉢木(はちのき)」の舞台、佐野源左衛門常世の館跡と墓があるということで訪れた次第です(ただし「鉢木」でいう「佐野」という地は現在の群馬県高崎市内であるという説が一般的であるとのこと)。

k01葛生駅 k02葛生・さーのって号a k03さーのって号b

東武佐野線のワンマン電車に乗車して終点の「葛生」駅で下車。駅前には商店らしきものは全くなく、一軒寺院があだけ。まるで町の拠点という雰囲気はなく、この路線はもっぱら貨物輸送が主体だったことが理由となるのであろう。駅からすぐの所に市営バスの車庫がある。これから向かう地へは「デマンドバス」に乗車する。乗車するには事前に電話で予約しなければならない。運賃は均一料金で300円。短距離区間を利用するにはチョイと高めである。

K10佐野源左衛門館跡 k11葛生・正雲寺跡内部 k12葛生・佐野源左衛門館跡・土塁 K13葛生・日鉄鉱業専用線・廃線跡

↑石沢前(こくざわまえ)バス停で下車。500mほど北へ歩き左折すると、正雲寺公民館。ここはかつて実相院という寺があり、佐野源左衛門常世(さのげんざえもんつねよ)とその母の位牌、守り本尊と伝えられる薬師如来と地蔵尊が安置されている。その100nほど北西方向に高さ5mほどの土塁が残り、これが常世の館であった、豊代城の跡であると言われている。この土塁を突っ切るように伸びるのは、日鉄鉱業の貨物専用線の跡地で列車が今にも走ってきそうな雰囲気。図らずも史跡巡り趣味と鉄道廃線跡巡り趣味を同時に楽しむことになる。

K21葛生・願成寺本堂 k22葛生・願成寺・佐野源左衛門の墓 k23葛生・願成寺・佐野源左衛門の墓

↑20分程、葛生駅方向に向けて歩くと願成寺(がんじょうじ)。佐野源左衛門のものと伝えられるがある。本堂から右手にいった場所にあり、竿の部分の欠けた高さ1mほどの宝篋印塔がある。歴史なんてものは伝説と同じで過去に1人嘘つきが居れば作られる。史実でどうこういうのも大切だが、一方でそんな夢のある話に乗せられてしまうのも楽しいのではないか。

k31葛生・貨物専用線廃止跡 k32葛生・貨物専用線廃止跡 k33葛生・貨物専用線廃止跡

↑日鉄鉱業の貨物専用線に沿って、葛生の町の中心部に向けて歩く。

k41佐野市立吉澤記念美術館 k42葛生化石館 k43葛生伝承館 k44葛生町交番・フレスコ画

↑葛生の町の中心部には、佐野市立吉澤記念美術館葛生化石館葛生伝承館と3つの観光施設が並んでいる。主要な街道からも外れているこの地になかなか観光客を呼び込むのも難しいのだろう。なかなか集客ははかどらないようで、係員の人たちもヒマそうである。ここ葛生はフレスコ画に力を入れており、伝承館の外壁にもフレスコ画を制作中。完成は6年後というから気長なものです。また町中の交番正面の妻部にもフレスコ画。

k51佐野市田沼・日本中心の地の碑 k52佐野市田沼・日本中心の地の碑 k53一瓶塚稲荷神社a k54一瓶塚稲荷神社b

↑葛生の駅から電車で2駅佐野の方へ戻って田沼へ。佐野に田沼というと「田沼騒動」を連想するが、ただの偶然で関連はないらしい。駅すぐそばの公園に日本列島中心の碑がある。地理上の「日本の中心地点」といってもいろいろな求め方があり、沖縄を含めるかどうかによってももちろん違う。駅から徒歩3分ほどの場所にあるのが、一瓶塚稲荷神社(いっぺいづかいなりじんじゃ)。拝殿前に立つ鳥居は、江戸時代の中期に天明(てんみょう)鋳物師により鋳造されたもの。本殿も江戸時代中期に建立されたもので精緻な彫刻が施されている。この神社の宮司である阿蘇谷(あそや)正彦氏は神道学者で国学院大学の学長を8年間務めた方だそうだ。今朝は早起きで、これ以上町歩いてを巡る気力なし。先ほどの駅前の公園のベンチに横たわってしばし木陰で休憩。寄席の会場へと向かいます。
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