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9月20日 赤塚・成増史跡巡りの旅

 昨日、都内の史跡巡りの本をパラパラとめくっていて何故か、板橋区赤塚・成増のページが目に留まった。ということで今日は日中、赤塚・成増の旅。

an01赤塚・乳房榎01 an02赤塚・乳房榎02

 ↑三遊亭圓朝作の『乳房榎』記念碑。写真は柵越しに撮影したのでヘンな構図にに。このモデルとなったといわれる木がある(あった)場所が赤塚の町の中に3ヶ所あります。その中の1ヶ所が松月院前交番横。元は武士である絵師の菱川重信が磯貝浪江に殺され、遺児の真与太郎は重信の下男であった正介に連れられ、赤塚村の松月院に来る。その境内に乳房の形をっひたコブのある榎があったという。4代目の榎が植えられたと史跡巡りの本には書いてあるが、いまは無いとこと。

an11松月院・高島秋帆顕彰碑01 an12松月院・高島秋帆顕彰碑02

↑その松月院の中にある『高島秋帆顕彰碑』。高島秋帆といえば、幕末の砲術家として知られ、徳丸ヶ原(現在の高島平)で大砲の実地訓練を行うなど、西洋式軍事技術を披露したことで有名である。その大砲をモチーフとした碑であり、天向けて口を向ける形はなかなかに面白い。

an21赤塚・乗蓮寺・東京大仏01 an22赤塚・乗蓮寺・東京大仏02 an23赤塚・乗蓮寺・東京大仏03

↑乗蓮寺・東京大仏。乗蓮寺は1971(昭和46)年、国道17号の拡張工事に伴い、ここ赤塚城の二の丸跡といわれるこの地へ移転し、この大仏は昭和52年に完成した。東京が関東大震災や東京大空襲のような、悲惨な災害に再び起きないように願って建立されたという。阿弥陀如来で、青銅製で高さは8.2m、重量は32トン。奈良の大仏を模してなのだろう。大仏前には八角燈籠が建ち、火袋にはそれぞれ菩薩の透かし彫がされている。

an30赤塚・板橋区立郷土資料館00 an31赤塚・板橋区立郷土資料館01 an32赤塚・板橋区立郷土資料館02 an33赤塚・板橋区立郷土資料館03

↑赤塚城本丸跡の北側に建つ、板橋区立郷土資料館をざっと見学。嬉しい事に館内の写真撮影はOK。写真のモルチール砲。江戸時代に小石川大砲鋳造諸で製作されたもので、高島秋帆が徳丸原で使用した、大砲と同形・同寸であるとのことで、日本の対外防衛の面で西洋式近代化を図った第一歩とも呼べる物ではなかろうか。ほかに1841(天保12)年に描かれた「高島四郎太夫砲術稽古業見分之図」、秋帆が自筆したという砲丸型茶釜図なども興味深い。

an41赤塚・乳房榎01 an42赤塚・乳房榎02 an43赤塚・乳房榎03

↑さて、夕方も迫って赤塚の町を西側に歩くが、午後4時で拝観終了という所もあって、寺社巡りははかどらない。赤塚氷川神社のほど近くの公園に、1本の大きな榎(なのだろう)と、「樹齢1750年。赤塚怪談乳房いのきで知られてる、赤塚乳房大神」と書かれた石碑がある。なるほど5mほどの高さの場所に女性の乳房のような形のコブがある。ここは松月院からは相当離れており、この木が「乳房榎」だという真実味はないのだが、当時、赤塚村には所々にこのような立派な榎の木が立っていたのだろう。本家の松月院の方には該当する榎がないので、これを昔日を偲ぶよすがにするのもいいかも。

an51成増・菅原神社01 an52成増・菅原神社02・田中邦衛 an53成増・向こうの台地は埼玉

↑さらに西へ。町は赤塚から成増に移る。小高い所に菅原神社はある。この台地の西側に白子川が刻む谷があり、この川付近が東京都と埼玉県の都県境である。菅原神社の玉垣を何気なく見ていると、「田中邦衛」という名が刻まれている。あの俳優さんの田中邦衛さんとの関係は不明で、ネットで「田中邦衛」「成増」と検索してみても何も分からない。

an61右東京都板橋区成増・左埼玉県和光市白子 an62旧川越街道・白子橋01 an63旧川越街道・白子橋02

↑東京都と埼玉県の境である白子川は河川改修されており、旧河道が都と県の境である。上写真で、道路の左側が東京都板橋区成増で右側は埼玉県和光市白子。川越街道の旧道に架かる白子橋。童謡詩人として知られる清水かつらは「靴が鳴る」「叱られて」「雀の学校」「みどりのそよ風」などの作詞で知られる。清水かつらはこの白子橋のすぐそばに住んでおり、その白子橋には「靴が鳴る」の歌詞が書かれた銅製プレートが掲げられている。

 ここから交通の激しい、現在の川越街道の左側を並行する旧道を歩いて地下鉄成増の駅まで。ここから新宿三丁目までは副都心線で1本。田辺鶴遊先生の会へと向かいます。



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