記事一覧

9月2日 横浜市 杉田から富岡までの名所・史跡巡り



x01_新杉田駅 9月2日、朝と夜は講談、日中は横浜市の杉田(磯子区)から富岡(金沢区)の名所・史跡をブラブラ巡りました。横浜といえば、市の中心部は年中観光客で賑わい、少し行けば鎌倉というこれまた日本を代表する観光地がある。少し知名度は下がるが、金沢文庫もすぐ近くにある。今日はそれらを敢えて無視し、横浜市南部の住宅街や公園の中に残る、歴史ある場所を訪れた次第です。

x02東漸寺・正面

x03東漸寺本堂

x04東漸寺・梵鐘

x05東漸寺・五輪塔 京浜東北線(根岸線)に乗り新杉田駅で下車。この駅を使うのはおそらく3回目ぐらい。駅から歩いて5分ほどの所にあるのが、東漸寺(とうぜんじ)。臨済宗建長寺派の寺院で 1301(正安3)年に創建されたという古刹。来てはみたものの、山門は固く閉じられ、周囲は柵に囲われ、本堂などのある境内に入ることは出来ません。礼儀やマナーをわきまえない観光客が寺側にこのような事をさせる原因になっているのかも知れませんが、だとしたら残念です。特に禅宗の寺院では信仰とは関係のない一般人や観光客を隔てる傾向にあるように思えます。本堂(釈迦堂)は屋根の反りの深い典型的な禅宗様式の建物で、史跡巡りの本には鎌倉時代の築と書いてある(だったら国宝レベル)が、具体的にいつなのかは分からない。神奈川県指定文化財。梵鐘は、1298(永仁6)年の作で国指定重要文化財。しかしこれは本堂の中に収蔵されており、現在鐘楼に架かるのは、最近造られたものだとか。本堂向かって左手に立つ、3基の五輪塔は鎌倉時代後期のものだと推定されている。

x11杉田八幡宮01

x12杉田八幡宮02

x13杉田八幡宮03 東漸寺から南側へ歩いて5分程の場所にあるのが、杉田八幡神社。杉田地区の氏神様です。石段を上がり振り返ると、高架線を走る京浜東北線の電車が見られ、鉄道好きとしても嬉しいスポット。拝殿前の狛犬は元禄時代に作成されたもの。

x16妙法寺・ビャクシン01

x17妙法寺・ビャクシン02
 杉田八幡宮から細い道を歩いてすぐの場所に、日蓮宗の寺院、妙法寺。入り口前に立つのが樹齢約600年と推定されるビャクシンの木。幹が3方に分かれ「かながわの名木100選」にも選定されている。樹木の老いが進んでおり、セメントで表を覆っている箇所があるのが気になるところ。

x21旧横浜海軍航空隊・隊門01

x22旧横浜海軍航空隊・隊門02

x23浜空神社01

x24浜空神社 妙法寺を出たあとは、国道16号(横須賀街道)をしばらく歩く。途中で横浜市磯子区から金沢区へ。長さ100mの富岡トンネルを抜けて少し歩くと、左手は富岡総合公園。公園入口から300mほどの場所にあるのが、旧横浜海軍航空隊隊門。横浜海軍航空隊は、1936(昭和11)年の開設で、通称「浜空」と呼ばれた。
 さらに300mほど歩くと、右手の桜の木々に囲まれた場所にあるのが、浜空神社。神社となっているが社殿は無く、該当する場所には最近建てられたと思われる「鎮魂」と刻まれた石碑が一基ある。おそらくは以前は社殿が建っていたのであろうが、関係者の高齢化とともに老朽化して維持するのも建て直すのも困難になり、永らく残すためにこのような石碑が建てられたのではなかろうか。傍らに由緒について書かれた碑があり、先の戦争では横浜海軍航空隊は太平洋などに広く展開したが、ニューギニア・ソロモン諸島を巡る戦いでは、司令官以下338名が玉砕した、そんな史実が伺い知れる。富岡総合公園の中でしばし、道に迷ってしまう。テニスコート、洋弓場の横を通って見晴らし台に。樹木が生い茂っていてそれほど開放感のある眺めだとは言えない。

x31慶珊寺01

x32慶珊寺02

x33慶珊寺03 富岡総合公園の南東にあるのが、真言宗の寺院、慶珊寺(けいさんじ)。「珊」という字を「珊瑚」以外の言葉で使う例に遭遇するのはおそらく初めてではなかろうか。1624(寛永元)年、富岡1700石の旗本、豊島刑部明重(あきしげ)が両親の菩提を弔うために建立した寺だという。この明重は、仲人役を引き受けながらその縁組が破談になり面目を潰されたことから、1628(寛永5)年、江戸城内で老中の土井正就(まさなり)を、かばった者ともども串刺しにして殺害する。そして息子の吉継とともに切腹、家名は断絶した、と史跡巡りの本には記されている。本堂裏手の墓地に、明重・吉継父子を供養する宝篋印塔が2基建っている。 寺の山門の右側角に建つのが、孫文先生上陸之地の碑。辛亥革命を成し遂げた孫文は、その後、中華民国の実権を握った袁世凱と対立し、日本に亡命。神戸から小船に乗って、ここ富岡海岸に辿り着いたという。孫文を積極的に援助した宮崎滔天、頭山満の人生は私も興味を持つところ。理想高く掲げたアジア主義が、その後のアジアの戦乱に拍車をかけてしまったのは、いつの世も起こる歴史の皮肉か。

x41横浜・富岡八幡宮01

x42横浜・富岡八幡宮02

x43横浜・富岡八幡宮03 500mほど歩き、石段を登り切ったところに建つのは富岡八幡宮。1191(建久2)年に源頼朝によって鎌倉の鬼門(北東側)除けとして創建された神社。当初は西宮の蛭子神が祀られ、後に八幡神を合祀。現在、神社は「ハマのエビス様」と謳っている。1311年の応長の大津波の際にはこの八幡宮の山が富岡の集落を守ったことから「波除八幡」とも呼ばれるようになった。東京・深川の「富岡八幡宮」はこの神社の分社で、深川の沖を埋め立てる際にこの「波除八幡」を祀ると海の波が収まり無事工事が完了したという。今では、深川の八幡様の方がすっかり世間的に有名になってしまい、本家の方である横浜の住宅街の中のこの社はどこかひっそりとしている。

x51京急富岡駅 この後、さらに南へ下り、野口英世ゆかりの地である長浜野口記念公園まで行く計画だったのですが、午後5時半ころには浅草に着いていたいということで本日の、名所・史跡巡りはここまで。富岡八幡宮から京急富岡駅まで歩き、夜の講談会へと向かいます。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

非公開コメント