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8月27日 武蔵国分寺史跡巡り

 中央線の国分寺駅は学生時代3年間、乗換駅として利用したのですが、駅から改札口を出て街中を歩いたのはおそらく数度、食事のためかレンタルビデオ屋に立ち寄るか、そのくらいでした。毎日、漫然と日々を過ごしていたあの頃。駅の名の通り、武蔵国の国分寺が所在する地なのに、そこへ行かないとはなんとももったいない時間の使い方をしていたのだろうと今さらながらに思います。
 そして昨日、朝と夜の講談会の合間に、長年の時間の空白を埋めるべく久々に国分寺の街を訪れ、ほんの数時間の史跡巡りをしました。

 01野川と国分寺崖線 駅から南側へ坂道を下って500m程の地点。国分寺という地名で地形ファンが真っ先に思い浮かぶのが「国分寺崖線」。立川市から大田区にかけて約30kmに渡る、10~20m程の高さの崖の連なりです。左側の川が、10万年の歳月をかけて崖を削った野川。右側が崖。

02武蔵国分寺公園 武蔵国分寺公園。都立の公園でもとは国鉄の中央鉄道学園のあった場所です。まあ、これといった特徴もない大きな公園なのですが、元・鉄道学園のあった地ということで、機関車の動輪をかたどったモニュメントが興味の目をひきます。

03鎌倉街道 都道を西へ、JR武蔵野線の陸橋を渡り、南側へ細い道を入ると、樹木に覆われた長さ200m程の道が。これが伝・鎌倉街道で、上野国(群馬県)、信濃(長野県)と鎌倉とを結ぶ道であったと伝えられています。この坂道で国分寺崖線を下りきります。

04国分尼寺跡 伝・鎌倉街道の坂道を下りきった地点にあるのが「武蔵国分尼寺跡」。いうまでもなく、奈良時代に聖武天皇が命じて各国に造らせた寺院です。写真で、4本並ぶ柱は「幢竿(どうかん)」と呼ばれ、「幡(ばん)」という縦長の旗(あるいは「幟(のぼり)」)のようなものを掲げるためのものです。その奥の一段高い部分は、寺の中心部分と言える「金堂(こんどう)」の跡。

05国分寺跡 国分尼寺跡から東方に500mほど歩くと今度は「国分寺跡」。わりとコンパクトにまとまった「国分尼寺跡」に比べると、こちらはだだっ広い「原」といった印象。写真の少し盛り上がった部分が、金堂の背後にある「講堂」の跡です。

06国分寺模型 北東側へ歩いて3分ほどの場所にある「武蔵国分寺跡資料館」。それほど大きくはないものの、一般の人にも良く分かるようなポイントを突いた、分かりやすい資料館です。写真は、国分寺とその周辺の復元模型。こういうビジュアルなものに興味をそそられます。

07七重塔礎石 国分寺跡から200mほど南東へ行った地にある「七重塔」の跡。礎石が残ります。金堂、講堂などの国分寺の主要部分から、なぜこの七重塔だけ少し離れた場所にあるのか、これも興味深いところです。

08七重塔模型 戻りまして、「武蔵国分寺跡資料館」の前に建つ、七重塔の推定復元模型。この模型は10分の1のスケールだそうで、実物は約60mの高さであっただろうと言われています。

09真姿の池 国分寺跡から北東側300m程の地点にあるのが「真姿(ますがた)の池」。国分寺崖線の崖の下部から、水が湧き出る箇所が数か所あります。この湧水が、奈良時代この地に国分寺を築く由縁となった訳でして、そう考えるとなんの変哲もないこの小さな池に、千数百年という歴史の深みを感じます。

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