記事一覧

8月9日 たっぷり神田春陽『長講徳川天一坊』

★★★たっぷり春陽 神田春陽の「長講 徳川天一坊」を聴く会(19時31分開演 らくごカフェ)

●神田春陽 徳川天一坊 紀州調べ
 徳川吉宗がまだ将軍職に就く前、紀州・和歌山で源六郎と呼ばれていた頃、「さわの」という女中にお手がついて、やがて「さわの」は懐妊する。平沢村の母親の元に戻った「さわの」は間もなく玉のような男の子を産むが不幸にもすぐに亡くなる。さわのも後を追うようにこの世を去った。このことを知っているのは「さわの」の母親の「おさん」だけである。それから12年の歳月が流れ、平沢村の隣村、平野村に住む修験者、感応院の弟子、改行(かいぎょう)は自分がこの亡くなった御落胤と同年同月同日の生まれである事を知る。「おさん」を殺して御落胤であるという証拠の品を奪う。さらに師匠の感応院を毒殺する。また自らは賊に殺され海に沈められ死骸は見つかっていないという工作をする。彼は肥後熊本へと渡って5年間の間に300両という金を貯める。将軍の御落胤、天一坊と名乗り、将軍家乗っ取りという企みを持って東へ移動。途中、赤川大膳、天中坊日進、山之内伊賀之助などの共謀者を得る。
 天一坊には吉宗公の御落胤であるという確かな証拠の品があるので大坂城代、京都所司代もこれを信じる。また松平伊豆守を筆頭とする老中たちもこれで間違いないとする。ただ一人、南町奉行の大岡越前忠相だけは天一坊の悪相から、これは真の御落胤ではないと見抜いていた。越前は取り調べるが山之内伊賀之助との問答に敗れてしまった。越前は病気という事で公儀を休み、その間に白石治右衛門、吉田三五郎の2人を紀州・和歌山へと送り、天一坊の正体を調べさせる。和歌山では町奉行、郡(こおり)奉行、寺社奉行と3者が協力する。
 まず最初に御落胤をお産みになった女中の「さわの」の身元引き受けをした四方田屋三蔵の元を訪ねる。二十数年前の請宿の台帳の提出を求めるが火事で焼けてしまって無いという。がっかりした一行はもうひとつの手掛かりに当たる。「さわの」と親しくしていた女中の菊乃井を訪ねる。菊乃井の夫は春日の神職、山岡伊勢である。役人、それも寺社奉行までもが来たと驚く菊乃井と山岡伊勢。自らの不正を調べに来たかと思い混乱した2人は何を聞かれても知らぬ存ぜぬを繰り返すが、なんとか取りなし、自分は知らないが加納正源様の屋敷で奉公していた治助なら知っているだろうと言う。
 治助を呼び出す。もしも有益な証言であれば十両の金を遣わすという。そして「さわの」の母親、おさんの住んでいたのは平沢村であったと聞き出す。
 明朝、平沢村にて三十歳以上の村の者を残らず名主の家に集めるよう言いつける。白石・吉田は「さわの」「おさん」の消息を尋ねると六十代くらいの老人が証言する。「おさん」と娘の「さわの」はこの村に住んでいた。「さわの」は加納の家に奉公に出るが、十八歳の時、お腹の大きくなった姿で村に戻って来た。しばらくして男の子を産むが生まれてすぐに亡くなってしまう。産後の肥立ちが良くなかったか「さわの」も直に死んでしまった。真の御落胤は早逝してしまっていた事実を白石・吉田はつかんだ。
 一行は「さわの」と御落胤の葬られている光照寺を訪ねる。寺には田島周山という住職がいるが、彼は2人を葬った時の様子からこの赤ん坊が源六郎様、後の吉宗の御落胤であることに気付いていた。これは金になると思った周山は、適当な墓石を2つ並べて花を活け、過去帳には御落胤にでまかせの戒名を書く。一行は墓参りをし深々と頭を下げる。周山には莫大な褒美が与えられた。
 さて、これで天一坊が偽物だとはっきり分かった。ここまでの調査に1日半を要したが、まだ少し時間が取れるので引き続き、天一坊の素性を調べることにする。平野村の名主の甚右衛門から話を聞く。「おさん」は娘が死んだ後、甚右衛門の世話になる。「おさん」は彼の家で不審な形で死んでいた。甚右衛門の証言から、村の修験者、感応院の弟子の源氏坊改行が天一坊と顔の相貌が良く似ていたことが分かる。「おさん」の死んだ翌年、師匠の感応院は毒に当たって死に、さらに翌年、今度は改行が加太の浦で賊に襲われ死んでいるが、血の付いた着衣のみが打ち上げられ、海に沈められた死骸は見つかっていないという。不審な点があったのでその時の着衣は奉行所に保管されていた。人間の血は時間が経つと黒くなる。犬の血は時間が経つと黄色くなる。この着衣に付いているのは犬の血である。これで改行が自分が死んだと思わせるための工作だったことが判明する。さらに師匠の感応院が亡くなったのは村の者たちと一緒に食事をした時に、なぜか感応院だけがキノコに当たり死んだという。感応院の飯炊きであった伝助に聞いたところ間違いないという。改行が毒殺したのだ。
 白石・吉田は甚右衛門と伝助に江戸へ来てもらい、天一坊は改行であるかどうか見定めて欲しいと頼む。4人は大急ぎで東へと向かう。甚右衛門と伝助には小田原で駕籠から降りてもらい、ゆっくり見物してから江戸へ来るようにという。白石・吉田は越前の待つ江戸へと急ぐ。
<仲入り>
●神田春陽 徳川天一坊 越前切腹~伊豆味噌
 さて、千代田の城では吉宗公は鬱々としている。果たして天一坊は本当に我が子なのか否か、この儀は越前に任せているが、その越前が病気だということで音沙汰がない。伊豆守を通して、もし病気が治っているのなら明日登城せよ、治っていないのならこの儀についてはお役御免にすると越前に伝える。越前は考える。明日、登城したのならば御落胤の事について何らか申さなければならないが内々に調査させている『紀州調べ』の結果についてまだ報告が来ていない。明日登城せずに役を辞すれば、天一坊は御落胤であるとの決着が着くが、もしその後天一坊が偽物だと判明すれば、伊豆守をはじめとした老中一同、大坂城代と京都所司代は責任を取って切腹しなければならない。そこで越前は自らと11歳の息子、忠右衛門と2人で切腹をし、紀州調べの結果が判るまでは御落胤の件については保留しておいて頂きたいという書置きを残すことにする。
 息子と2人、白装束になる。介錯には池田大助が選ばれた。夜、家来一同を集める。越前は、翌朝切腹をするが殉死、追い腹などはせぬようにと家来たちを諭す。
 翌日の朝、明け六ついよいよ切腹となるが、息子の忠右衛門は緊張のあまり上手く腹を切ることが出来ない。そこで越前が息子の腹に刀を突き立てた時に、『紀州調べ』の結果を携えた白石・吉田両名が到着した。早速報告を受ける。天一坊が吉宗公の御落胤であるというのは真っ赤な偽りで、真の御落胤は出生早々にお亡くなりになっており、それを知った源氏坊改行なる者が自らを御落胤だと名乗り、次々と悪事を重ねているという子細を聞く。
 さて、越前は登城をする前、まず伊豆守を訪ねる。困って途方に暮れた越前が泣きついて来たかと思った伊豆守だが、天一坊が偽物だと聞かされ大慌てになる。吉宗公の前で、天一坊は真の御落胤で間違いないと言ってしまった自分は、責任を取って腹を切らなければならない。なんとか助けようと越前はカクカクシカジカと策略を伝える。
 伊豆守と越前、肩を並べて千代田の城に登城し、吉宗公に謁見する。天一坊の正体と悪行とを報告すると、もし偽物と親子の盃を交わせば天下の大事になるところだったと吉宗公は安堵する。伊豆守は一旦は天一坊が御落胤であるとは言ったものの、なお不審な点があったので大坂城代、京都所司代と連絡をし、越前に『紀州調べ』を命じて以上のことが判明したと言う。当初、伊豆守ら老中一同が偽物ではないと断言していた事を吉宗公は問いただそうとするが、名君と呼ばれた彼は言葉を押しとどめる。
 次に、伊豆守と越前は小石川の水戸様の屋敷を訪ねる。越前にいろいろと協力をしてきた綱條(つなえだ)公も、真実を知り胸をなでおろした。ここでも越前の機転で伊豆守らの責任が問われることはなかった。
 伊豆守は、天一坊とその一味を残らず捕縛せよとの命を下す。役宅に戻った越前は、召し捕るための段取りを着々とつけるのであった。
 (21時32分終了)

講談の情報ページ『講談るうむ』はここをクリック
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

非公開コメント