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8月19日 凌鶴の会@永谷新宿

 8月11日から9日間連続で講談の会に通ったが、明日からは小休止。次の火曜日には目の手術が控えている。

★★★新宿田辺凌鶴の会(永谷新宿FU-+ 18時33分開演)

●田辺凌天 鬼児島弥太郎
●田辺凌鶴 西郷隆盛(8)海賊浪蔵の義侠
 <仲入り>
●田辺凌鶴 荻村伊智朗(おぎむらいちろう)
 ▽凌鶴先生の奥さんが観た韓国映画からアイディアを得たとか。客席からは「イヨッ!内助の功!」の声が。
 ◇荻村伊智朗は1932(昭和7)年に生まれる。杉並の都立西高校には昭和23年に入学。学校には卓球部がなく、部の創設の交渉を校長と繰り返す。ようやく認められたが、部には予算がなく継ぎ目のある卓球台しかない。近くの国学院久我山や荻窪高校などちゃんとした卓球台のある学校に「練習試合」として通っては練習する日々が続く。
 その後、東京都立大学に入学する。卓球台は3台あったが、部員は一人もいない。仕方ないので一日にランニング10km、なわとび2千回、うさぎ跳び1kmとトレーニングを積み、一方で、壁打ち、または卓球台に万年筆のキャップを立ててそれめがけて珠を打ち込み練習する。
 1952(昭和27)年、全日本軟式卓球大会に出場し、いきなり優勝する。それから日本大学の芸術学部映画学科に転学する。ここには国体クラスの選手が15人いるのに、卓球台は1台しかない。国体、アジア大会、世界選手権と出場し、優勝。目覚ましい活躍を遂げる。またイギリスやオランダなど反日感情の強い国でも、スポーツの精神を通して友好関係を築きあげる。
 現役を引退しコーチとなり、日本卓球界の中心的存在になるが、その方針は「噴火山方式」と呼ばれる。真ん中のパワーが卓球というスポーツの裾野を広げるのだ。
 中国の周恩来首席との強いパイプを持ち、これがのちに「ピンポン外交」と呼ばれる、日中または日米の関係改善に繋がった。また1991年、日本で開催された世界選手権では韓国・北朝鮮による「統一コリア」を実現させる。
 卓球の発展、スポーツによる世界友好に尽力した荻村伊智朗は1994年、肺がんのため亡くなった。
 (20時33分終了)

180819b凌鶴@新宿


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