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8月15日 五日連続読みの会(最終日)、なでしこくらぶ@両国

★★★五日連続読みの会(日暮里サニーホール・コンサートサロン 10時02分開演)

●神田真紅 南総里見八犬伝 犬川荘助(いぬかわそうすけ)
 ◇伊豆国・北条荘に犬川衛二則任(いぬかわえじのりとう)という忠義者の男がいた。彼には一人息子で荘之助(そうのすけ)がいるが、産まれた時に不思議な事が起こる。荘之助のへその緒を庭に埋めようとした時、土を掘ると中から「義」という文字の入った水晶の玉が出て来る。これは吉兆か。この玉を守り袋に入れ、荘之助に持たせる。荘之助はすくすくと育つ。
 則任の主君、足利政知(あしかがまさとも)は民百姓のことを考えない暴君であった。則任はそんな主君を諫めようとするが、政知は一向に聞き入れようとしない。そのうちに政知は則任を疎ましく思うようになり、殺してしまおうと考える。則任の食事に少しずつ毒を盛るが、これに則任は気づく。忠義な則任は諫言状を残して自ら切腹をする。死んでまであれこれと自分に意見をするのか。ますます怒った政知は、犬川の領地を取り上げてしまう。さらに残された妻と子供にも容赦はせず、領地から追い出してしまう。
 安房国の親類の元に頼りになろう。夫を亡くした妻は幼い荘之助を連れ、とりあえず武蔵国をめざすが山賊に襲われ、乞食同様のボロボロの姿になる。
 ある冬の日のこと。その日は吹雪で、母親と荘之助の2人は武蔵国・大塚村まで辿り着く。庄屋の屋敷の戸を叩くと出てきたのは正直者の糠助であった。一夜の宿りを願いたいと女は言う。これは元は身分のある女であると悟った糠助は庄屋の夫婦である蟇六(ひきろく)と亀篠(かめざざ)に尋ねるが、性根腐り果てた2人は追い払えと言う。荘之助と母親は屋敷の前で寒さに耐えるが、元々身体の弱かった母親は明け方には苦しみだし絶命してしまう。
 追い払った者が死んでしまったとなれば庄屋の名前に傷つく。この女は屋敷の前で行き倒れたことにして、形ばかりは手厚く葬る。残された荘之助は下男として引き取ることにし、名を額蔵(がくぞう)と改めさせる。
 額蔵14歳の時のこと。今は亡き亀篠の弟夫婦の子、信乃(しの)という男子をこの屋敷で預かっている。蟇六・亀篠は年のちかい額蔵にこの信乃の世話をするよう命じ、さらに彼が持っている名刀・村雨丸を隙があったら奪い取るよう言い付ける。
 ある日、額蔵はタライに水を張り、信乃を行水させていた。着物をたたんでいるとひとつの水晶のような玉がコロリと落ちる。また玉には「孝」の文字がある。私も同じような玉を持っており、「義」の文字が浮かび上がっている。さらに信乃の肩には自分と同じく牡丹の形のアザがある。額蔵はこのことを信乃に告げる。2人には何か縁(えにし)があるのだと、ひそかに兄弟の契りを結ぶ。信乃は犬塚の家の、額蔵は犬川の家の再興を目指すのであった。
●神田すず 相馬大作(五)妙の浦の捕物~大団円
 ◇伊達の三次と共に下総国・八日市場まで逃げ延びた相馬大作。ここで三次の兄弟分である土地の侠客の世話を受けるが、彼にも大作が只者ではない事を見破られる。仕方なしに三次は大作の正体を明かすが、ここにもいられなくなった大作は、一人八日市場を後にし、江戸に向かう。
 大晦日、中間の汚い身なりをした大作は雉子橋門から御門内に入る。中間の格好なので役人たちも誰も気づかない。真夜中、茂みに隠れて夜が明けるのを待つ。明け六つになり太鼓が鳴ると、元旦で諸国の大名たちが総登城をする。その中にいた津軽越中守が大手門に差し掛かった時、殿様に向けて大作は種子島の短筒をズトンと撃つが、袂にかすっただけで身体に別条はない。もう一発狙いたいところだが、「曲者だ」と追手が迫ってくる。大作は中間の間に交じってなんとか逃げ延びる。ご城内で鉄砲を使ったことで、大作は津軽藩のみならず、幕府からも謀反人として追及を受ける身となり、手配書が出回る。
 安房国・小湊は日蓮上人のお生まれになった土地であり、この地にある誕生寺は寺領160石を頂く格式の高い寺である。この寺の住職の日栄はまことに評判の良い者である。この寺が本堂を修復することになり、絵を描く住吉派の絵師を探している。そこへ裏口から30歳くらいの一人の男が訪ねて来た。名を秋月静我(あきづきせいが)という住吉派の絵師であるという。ちょうど絵師を探していたところだが、年が若すぎると日栄は思う。ひとまず寺に泊まってもらい、格天井(ごうてんじょう)の割描きの仕事をしてもらうが、しばらく経ってこれを見てみるとたいそう良い出来であり、日栄も満足する。
 格天井の絵が3分の2ほど出来上がったところで、今度は門前で旅籠屋を営む杉浦屋清三郎という者が日栄を訪ねて来る。寺のご開帳を見込んで旅籠も普請をしたが、新しく誂えた襖が十六枚ある。これに何か描いて欲しいというのだが、日栄は多忙の身である。そこで静我に仕事を頼み、彼もこれを引き受ける。半月ほど経って見事な花鳥人物山水の墨絵が完成する。なぜか落款(らっかん)がないが、自分はまだ修行中の身である故、他に迷惑がかからないように落款はしないと言う。無欲な人だと感心する清三郎。
 この絵の評判を広めようと、清三郎は宿屋仲間を30人ほどを集める。なかなか気付いてもらえなかったが、万屋勝蔵(よろずやかつぞう)という男が襖の絵に注目する。清三郎は誕生寺で格天井の絵を描いている秋月静我という者の絵だと紹介すると、勝蔵は自分もぜひ描いて貰おうと言う。勝蔵は誕生寺へ出向き、静我に清正公の絵を依頼するが、その時に彼の顔を見てハッとする。勝蔵は代官から十手捕縄を預かっている目明しであった。秋月静我と名乗る男が、手配書が出回っている相馬代作であると見破っていた。
 代官所に届けるよりは、津軽家に売りつけよう。勝蔵と清三郎は江戸・本所緑町の津軽藩上屋敷まで行き、家来を小湊まで寄こしてくださいと言う。小湊に戻った2人は、絵を描いて貰ったお礼だと言い、大作を妙の浦へと誘い出す。入江から船を出し、餌を撒くと鯛がたくさん近寄ってくる。そこで勝蔵と清三郎は大作を捕らえようとする。しかし大作は2人ともドブンと海に投げ込んでしまう。すると2人は船をひっくり返す。大作は衣類を脱ぎ捨て泳ぐが、海岸沿いにはすでに津軽藩の家来の者たちがズラリと待ち受けている。大作は捕らえられ、江戸の津軽藩上屋敷へと送られた。日栄は、船に同乗していた身延の院代と小姓から子細を聴く。
 日栄は同じ処刑されるにしても、津軽藩の屋敷で酷い仕打ちを受けて死ぬよりも、ご公儀の前で法によって処罰される方が良かろうと考えた。日栄は寺社奉行の脇坂淡路守に手紙を送る。寺の中にいる罪人を寺社奉行の許しが無いのに津軽藩が勝手に捕らえたことを訴えた。この訴えは聞き入れられ、相馬大作は津軽藩屋敷から北町奉行所へと引き渡された。また、日栄は勝蔵と清三郎が、当地の代官所に届けないで津軽家に大作の身を引き渡したことを咎め、2人を誕生寺の門前から追放した。
 相馬大作は小伝馬町の牢屋敷の中に入れられたが、近くで火事が出て解き放ちになる。伊達三次に助けられ故郷の南部をめざすが、もはや逃げ通すことは出来ず、役人によって捕らえられ、34歳でもって小塚原で処刑されたという。
 (11時27分終了)

180815bすず・相馬大作@日暮里


★★★女流講談会 なでしこくらぶ 怪談特集(お江戸両国亭 13時02分開演)

 それほど広くない両国亭だが、今日は最後部までぎっしりお客さんで埋まる。

●田辺凌天 大久保彦左衛門 木村の梅の御意見
●神田こなぎ 海賊小町
 ◇江戸三大祭のうちのひとつ、神田祭は、昔は9月15日に行われていた。人々の目を何より楽しませていたのは、山車に付き添う手古舞娘(てこまいむすめ)たちである。神田明神の男坂にあるひさご屋という小料理屋。ここの離れで2人の男が酒を酌み交わしている。1人は若狭三十郎という三千石の旗本で本所に住まいがある。目がギョロッとして顔は浅黒くあまり良い男ではない。もう1人は花本左楽といい、俳諧師を名乗っているが、その実は若狭三十郎に付き従っている幇間である。2人は手古舞娘である唐木屋の娘、おつやの美しさを語り合っている。唐木屋は海賊橋の近くにあるので、おつやは『海賊小町』と呼ばれている。この娘を『若狭小町』または『本所小町』にしたい。2人はおつやを我がものにする手段を画策する。
 左楽は神田明神へ向かい、あなたのお父様の言い付けであるからと、おつやを若狭三十郎の元に連れて行く。その途中、座敷から自分の名を呼ばれたような気がしておつやは足を止める。「吉原では“お通夜”みたいな気分ですよ」「は組の力松の兄ィは立派な奴だと皆ほめてますよ」。そんな会話が座敷の中から聞こえる。おつやは障子を開けて若狭三十郎のいる離れの中に入る。そこで彼からお前を嫁に迎えたいと言われるが、おつやは自分にはすでに許婚(いいなずけ)がいるからと、これを断る。その許婚とは誰だ、なおも問う若狭三十郎に、つい、おつやは先ほど耳に入った「は組の力松」の名を言ってしまう。「大家の娘が火消しが如きに嫁入りするはずはないだろう」。若狭三十郎はおつやに迫るとそこでガラッと障子が開く。「あっしがその“は組”の力松でございます」。年の頃25,6の筋骨たくましい目元の涼やかな男が入ってきて、ドッカと座る。「私どもは親が決めた許婚でございます」。驚いた若狭三十郎。祭の続きがあるからと力松とおつやは離れから出ていってしまう。力松は離れに美しい娘がいるからと近寄ってみたら、中から自分の名前が聞こえたので入ってきたという。
 その日からおつやは力松に想いを寄せるようになり、また力松もまたおつやのことを想っている。しかし2人は身分が違うのでおいそれと一緒になることは出来ない。
 その年の暮れ、力松と子分の金太を連れて両国の小料理屋に入る。力松は金太におつやへの想いを打ち明ける。しかし向こうは大家のお嬢様でこちらは火消しの纏(まとい)持ち。諦めて生涯女房を持たないでいようと力松は言う。力松が手水場に行こうとすると、その姿を見つけた花川戸にある都鳥という店の男が話しかけてくる。店のお客が力松に来て欲しいと言っているという。力松はこの男に付いて花川戸の方へ向かう。「この先柳の木のあるところを曲がってすぐでございます」。男の言葉に従った力松だが、柳の木の陰に隠れていた覆面姿の侍に袈裟懸けに斬られる。この侍こそ若狭三十郎であった。虫の息の力松は、心配になって追ってきた金太に仇の名は若狭三十郎であることを伝え絶命する。
 金太は番所に届け出るが、無礼討ちということで若狭三十郎は罪に問われなかった。は組では力松の葬儀が盛大に行われるが、腹の虫が収まらない。参列した唐木屋のおつやも泣き嘆く。
 しばらく経って、金太の元におつやが訪れる。あの神田祭の日以来、おつやは力松が本当の許嫁だと思っていた。金太も力松がおつやに惚れていたことを話す。おつやはどうしても力松の仇討ちがしたいと語る。それから2人は何やら相談をする。
 それから2ヶ月ほど経った寒い冬の晩、若狭三十郎の屋敷から出火する。真っ先に駆け付けたのは、は組の金太で蔵の上に登って纏を屋根に突き刺す。スルスルと下に下って火消し装束の者と合流する。「あの蔵は大丈夫であろうか」。蔵の中に入って来た若狭三十郎は匕首でズブリと刺される。刺したのは火消し装束のおつやであった。「これは花川戸の仇討ちでございます」。若狭三十郎は息絶える。おつやは役所に届けるが、これは許婚である力松の仇討ちであるとういことで罪には問われなかった。また屋敷に火を着けたのは金太でなかろうかとの噂も立ったが詳しく調べられることはなかった。おつやはその後出家し尼になり、力松の菩提を弔って生涯を暮らしたという。
●神田あおい うり鐘の由来
 ◇平安時代のこと。ナギノ村という場所があってそこに評判のいい長者が住んでいた。彼は村の者たちからはナギノ長者と呼ばれている。真夏の暑い日、小作人の男が裏口から入ってきて、大きな真桑瓜(まくわうり)を10個持ってきた。ナギノ長者には太郎、次郎、味丸という3人の子供がおり、それぞれ瓜を欲しがる。するとナギノ長者は昔話を始める。ナギノ長者が都へ向かっている途中、とても暑い日で他の旅人たちと木陰で休んでいた。すると5頭の馬を連れた5人の男が来る。馬には瓜を積んだ駕籠が括りつけられており、その五人も馬を繋いで木陰で休む。「ひとつくらいならいいんじゃないか」。人から頼まれて運んでいるいる途中の瓜をムシャムシャ食べ始める。汁気の多い美味そうな瓜である。そこへ一人みすぼらしい老人がやってきて私にも瓜を食べさせて欲しいというが、男たちは断る。「ならば瓜を育てるかな」。その老人は男たちが食べた後の瓜の種を拾い集め、「瓜畑よ出ろ~」というと、芽が出てたちまち成長し瓜の実になる。老人、そしてナギノ長者ら木陰で休んでいた人々も美味そうにムシャムシャその瓜を食べる。食べ終わってみすぼらしい老人は立ち去っていくが、すると、馬の駕籠の中の瓜が一つ残らず無くなってしまっていた。
 ここまでナギノ長者は話す。太郎は「それは作り話だ」と言い、次郎は「それは仙人の仕業だ」と言う。9歳の味丸はだた「瓜が食べたい」というばかりである。ナギノ長者は、近くにあるチコウ寺の長老が体調が良くないので、瓜はそこへ差し上げようと言う。
 夕方になって寺に瓜を持っていこうと妻に申し付けるが、戸棚には9つしか無い。子供たちや奉公人を集めて問い質すと、味丸は太郎と次郎が食べたと言う。しかし間もなくこれはウソで味丸が瓜を食べていたことが分かった。「バレてしまっちゃしょうがないや」。開き直る味丸。瓜を黙って食べただけでなく、その罪を兄2人に押し付けようとしたことが許せない。ナギノ長者は親類縁者を呼び、味丸を縁切りにし家から追い出してしまった。
 それから7年ほどが経った。チコウ寺に一人の身なりのいい老人の旅人がやって来た。供の者ともはぐれてしまい、この付近には宿屋もない。一晩ここに泊めて欲しいというが、寺には弟子も沢山おり休んでもらう部屋もない。そこで鐘楼堂の部屋に泊まってもらう。翌朝、その鐘楼堂の部屋に寺の小僧が入ると旅の老人が死んでいるのを発見する。村では祭りが近く、穢れてしまうので遺体に触れることが出来ない。どうしようかという時に、亡くなったのは私の主人ではないかと一人の男が訪ねて来る。男が鐘楼堂の部屋に入って見ると「確かに私の主人でございます。遺体は夜のうちに運びます」と言う。夜になり、鐘楼堂の方でガタガタ音がするが、気に掛ける者はいない。翌朝、寺の「大変でございます。釣鐘が無くなっております」。すべては釣鐘を盗むための盗賊団の芝居だったのだ。
 釣鐘の行方も分からず、しばらくして都から検非違使(けびいし)という役人、現在でいう警察官のような者が、ナギノ長者の元を訪れる。都でさんざん悪事を重ねている盗賊団の頭が捕まったが、彼はまだ16歳でナギノ味丸と名乗っている、こう検非違使は言う。ナギノ長者は縁切り状を見せて、味丸はこの家とはもう関係のないことを話すと検非違使は去っていく。間もなくして、チコウ寺の釣鐘の盗難も味丸の一味の犯行であることが分かる。果たしてあの時の瓜の怨みなのかと村の者は噂しあう。ナギノ長者はチコウ寺に新しい釣鐘を寄進した。そのうちにこの釣鐘に瓜を供えるのが慣わしになったという。

●田辺一邑 尾上菊五郎と幽霊
 <仲入り>
●宝井琴柑 雨月物語 浅茅が宿
●一龍斎貞寿 四谷怪談 お岩誕生
 (16時03分終了)

180815eなでしこくらぶ@両国


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