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8月13日 五日連続読みの会、梅湯『寛永三馬術』、琴柑@茅場町

 久しぶりに朝、昼、夜と講談会を1日で三軒はしごである。

★★★五日連続読みの会(10時02分開演 日暮里サニーホール・コンサートサロン)

●神田すず 相馬大作(三)神宮寺川の水難
 ◇矢立峠で津軽越中守の命を狙ったが失敗した相馬大作。弘前の城下で次の機会を伺うが、なかなか越中守が城から出ることはない。半年ばかりしても目途が立たず大作は城下を離れ、津軽街道を南へ向かう。途中、秋田藩内の神宮寺川に渡し場がある。往来が少ない場所なので役人も常駐しておらず、4人の船頭のうちの船頭がしらである弥助というものが役人の役目を兼ねている。この渡しには1度に乗せる客は4人きっかりという決まりがあり、客が3人でも5人でも船を出すことはない。渡し賃はいつでも百文であり、これはかなり高い金額である。この渡し場に現れた大作。船頭たちには自分は金毘羅詣りにいく途中だと言って、急がぬ旅と悠然としている。すると、商人体の男が渡し場に駆け込んでくる。主人が手を出している相場で遅れると大損が出てしまうので、すぐに船を出して欲しいと船頭に頼む。しかし客が4人集まらないと船を出さないというのは決まりである。船頭たちはあと2人来ないと出せないと言ってきかない。そこで大作はこの船を私に貸して欲しいという。船頭がしらの弥助はお前にこの船を操れるのかと聞くが、大作は東海道の富士川で船を渡す仕事をしていたと答える。大作の操る船で、男は無事対岸へ渡ることが出来た。大作は男から例に銀の小粒銭ひとつを貰う。船頭のいる側の岸に戻った大作は、船の扱いの上手さに感心され、ここに残って病気の船頭の代わりにしばらく働かないかと勧められる。大作はこれを受け入れた。
 9月21日のことである。名主が2人の侍を引き連れてやって来る。明日、津軽の殿様が江戸に向かって通行なさるので間違いのないようにと念押しされ、津軽家の紋の入ったハッピを渡された。
 翌朝、大名が来るとなると川留めになってしまうので、一般の旅行客は早いうちに川を渡ってしまう。七つ半、今の時間でいうと午前9時頃、大名行列の一行は到着し、立派なお乗物から殿様がお降りになる。殿様は船上の床机に腰掛け、お供の家来が3人が同乗する。船の後方には船頭がしらの弥助が乗り、前方では大作が棹を操っている。水は綺麗で殿様は床机から離れ景色に見とれている。川の中ほどまで来て、大助は棹を水面に勢いよく叩きつける。すると船は左に大きく傾く。大作は左腕で殿様の首を抱え、ドブーンと2人とも川の中へ落ちる。船上の家来たちも川岸にいる家来たちも慌てて川の中へ飛び込むが、2人は川の深いところまでいってしまったのか見つけることは出来ない。家来たちは近くの百姓家から網を借り、これを川の下流に張る。しばらくして殿様の首のない死体が網に掛かる。
 殿様の遺骸は江戸・本所緑町の上屋敷へと運ばれ病気で亡くなったということで内々に済ませようとする。大作は渡し場の上流にある川の中に入り込んだ榎の洞(うろ)に隠れる。夜、津軽藩の家来たちが引き揚げるのを待ち、川の中から出る。殿様の首を近くの寺の墓場に葬り、形ばかりの供養をして神宮寺川から立ち去った。津軽藩では殿様が襲われるのは三度目である。大公儀には大っぴらには出来ないが、この刺客を捕らえるため東北中に追手を差し向ける。さて、大作の運命はどうなるか。それはまた明日。
●神田山緑 牡丹灯籠(三)栗橋宿
 (11時03分終了)

180813aすず・相馬大作@日暮里


★★★宝井梅湯講談会『寛永三馬術』を読む 其の一(14時03分開演 新宿二丁目・道楽亭)

 今回から連続物で『寛永三馬術』を一気に読む。だいたい4回くらいを予定しており、本日は第1回目。休憩なしで約1時間45分、みっちり。

●宝井梅湯 寛永三馬術 松浦潟の血煙(ちけぶり)
 ▽この部分のあらすじは、以前一乃さんが演じた時に記しているので、こちらも参照してください。

http://koudanmemo.blog.fc2.com/blog-entry-156.html

 肥前国唐津藩15万石の寺沢志摩守には一人の子息がいる。薩摩の姫を嫁に迎えることになり、婚礼の宴が催される。そこで薩摩の重臣である宍戸宇源太(ししどうげんた)は唐津の殿様に対して悪口雑言をさんざんに吐く。翌日、松浦潟で船で帰ろうとする宇源太を唐津藩の家臣で150石を取る筑紫市兵衛が斬り殺す。殿様を侮辱した者を斬ったのだからお褒めの言葉が頂けると市兵衛も周りの者も思っていた。しかし殿様は市兵衛を捕らえて薩摩に引き渡せという。重臣を殺されてしまった薩摩側に配慮したのだった。家老の塚本伊織の機転で、市兵衛が捕らえられることはなかったが、彼には永の暇が申し渡される。市兵衛は母親と2人暮らしであった。200両という金を持って諸国を旅して廻ることになる。

○市兵衛中間奉公
 市兵衛と母親は唐津を後にする。諸国を見物しながら廻り3年という月日が経った。野州・宇都宮、池上町の笹谷重兵衛の宿に泊まるが、もう金は尽きてしまっている。泊まって1ヶ月ほどになり、重兵衛は女房からあの客は茶代も寄こさない、女中への心付けもしない、ひょっとして金を持ち合わせていないのではと責めるが、重兵衛はそんなことは無いと言う。2人の会話を市兵衛は聞いていた。彼は自分が無一文であることをあっさりと打ち明ける。宿賃は5両2分も溜まっている。市兵衛は重兵衛に、自分を宇都宮藩の城主である奥平忠政(ただまさ)公に厩(うまや)の中間として奉公させて欲しい。厩の中間では給金はえらく安い。それでは宿賃は返せないだろうと重兵衛が言うと、市兵衛はトントン拍子に出世するから大丈夫だと答える。ついでに市兵衛は重兵衛に身元保証人になってもらい、1分の金を借りた。この1分の金で母親のために綿の入った着物を買う。
 『市兵衛』ではまずかろうと名を『市助』に帰る。厩部屋に入った市助はクルクルと良く働く。しかも馬の扱いが上手く、どんな荒馬でも彼が轡(くつわ)を取れば大人しくなる。部屋頭からも他の部屋の者からもすぐに信頼されるようになる。市助の母親が67歳で旅籠(はたご)に泊まっていると知ると、部屋の者たちは「宿賃がもったいない。ここに連れて来たらどうだ」と言ってくれる。部屋に来た母親は衝立(ついたて)の向こうにいさせ、繕(つくろ)い物をしたり洗濯ものをしたりと、皆から重宝される。また市助もよく母親に尽くし、『孝行市助』と呼ばれ評判になる。

○雀宮八幡の働き
 ある日、市助は部屋頭に呼ばれる。19歳になる若殿の九八郎殿が雀宮八幡まで御遠乗りをするので馬の世話をして欲しいという。お供をする家来は石渡という者と井才田という者で両人とも馬に乗るのは下手である。
 さて、その日になって大手前の留めた馬に若殿はヒラリと馬に乗る。馬を扱う腕前はたいそう上手い。これは若殿が馬を思い切り走らせたいと考えるのは当然だなと、市助は思う。城下から離れ、ハイヨハイヨ、若殿は勢いよく馬を走らせる。若殿の乗った馬ははるか先まで行ってしまい、石渡、井才田両人は大きく遅れる。
 若殿は八幡宮の前の小川に架かる橋に到着する。その橋の上で一人の乞食が高イビキをかいて寝ている。起こしてどいて貰うのも面倒と、馬に乗った若殿はこの乞食をヒラリと飛び越そうとする。すると乞食の所持していた面桶(めんつう)に馬の後ろ足がちょっとばかり引っかかり、中の飯やタクアンが飛び散る。「何をしやがる。謝れ!」乞食は怒鳴るが、気位高い若殿は謝るということを知らない。そこへ石渡、井才田の2人が遅れて参上する。2人は乞食相手に戦うが、一人は木の根元にブン投げられ、一人は川の中に投げ込まれる。ここへ駆けて追いついた市助。木刀でもって乞食に討ってかかる。乞食はひょいと体をかわす。今度は乞食が市助を持ちあげ、岩の方めがけて投げつける。すると市助は岩の上にフワッと立つ。この時乞食は後ろにひっくり返る。市助が投げられたと思った瞬間、乞食を後ろへ蹴りつけたのだ。とても敵わないと思った乞食は逃げていく。
 若殿はこの下郎の強さに驚き、名を聞くと「市助であります」と答える。命の恩人である市助に褒美を与えたいが、忍びの遠乗りであるので表立って何かを与えるわけにはいかない。4,5年後、私が家を継いだらより重く取り扱おう。その場ではとりあえず印籠を授ける。こうして一行は城へ帰った。

○市助召し捕り
 若殿から口止めされ、拝領した印籠を柳行李(やなぎこうり)の底に隠しておく。ある日、母親が重い病気にかかり、治すには10両もするという人参剤を飲ませる必要がある。厩の中間ではとても用意できるような額ではない。やむを得ず、若殿から頂いた印籠を質屋の大槌屋銀兵衛の元に持っていく。中間奉公するような者が持つような品ではないとは銀兵衛も思ったが、普段から評判のいい市助である。市助に10両という金を貸し与える。人参剤を飲ませると母親の病気は見る見るうちに回復していく。
 この質屋、大槌屋銀兵衛の店に盗賊が入る。しばらくして沼田の団蔵という賊が上州館林で捕縛される。この団蔵の盗んだ品物の中に例の印籠がある。奉行の奥平大学が見て驚いた。これは宇都宮の若殿が所持していなければならない印籠である。奥平大学が団蔵を取り調べると、これは質屋の大槌屋銀兵衛の蔵から盗んだものだと言う。大槌屋銀兵衛に訪ねると、これは厩の中間の市助から預かった物だと言う。奥平大学は厩部屋の市助に呼び出し状を送る。お奉行様からのお呼び出しで、これは親孝行の市助にご褒美を下さるのだと、厩部屋の連中は喜ぶ。
 市助は部屋頭と共に町奉行に出頭する。奉行の奥平大学は市助の姿を見て驚いた。この容貌はただの中間ではない。彼は相当武芸に秀でた武士である。奥平大学は市助に生国を聞くと、肥前の百姓の子であると答える。次にこれに覚えがあるかと、例の印籠を見せる。若殿の御殿に忍び込んで盗んだ品なのか。市助は「他言をしてはならぬ」という約束を守り、「拙者が盗んだ物に相違はない」と答える。自分が捕まれば年老いた母親は路頭に迷うであろう。それで若殿への忠義を捨てる訳にはいかない。「大(だい)の虫を助けるため、小の虫を殺す」。部屋頭に「母親のことを頼みます」こう市助は言い残して牢に入れられた。
 さて、厩部屋では祝いの準備をしていたのに大騒ぎである。市助は「大の虫を助けるため、小の虫を殺す」こう言っていたと、部屋頭は母親に告げる。市助は無実である。すべてを悟った市助の母親は「死んだ父親も草葉の陰で喜んでくれるでしょう」こう笑顔で言う。気が狂ったかと思う厩部屋の連中たち。
 これから母親は市助の無実を訴えるのだが、その話はまた次回。
(15時40分終了)

180813d梅湯@道楽亭


★★★宝井琴柑講談会きんかんよみ ひとり道場シーズン二 真夏の鍛錬 宝井派に伝わる軍談、武芸物(茅場町二・三丁目会館 18時30分開演)

 本日、東京地方は大雨や落雷で電車があちこちで止まっている。これからも荒天が予想されるということで今日の会は短め。

●宝井琴柑 赤穂義士銘々伝 中山安兵衛道場破り
 <休憩>
●宝井琴柑 扇の的
 (19時25分終了)

180813h琴柑@茅場町


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