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7月18日 講談協会定席 日本橋亭夜席

 一日中東京の街を歩き回り、汗でぐっしょり、身体はクタクタ。そんな中訪れた定席は、4人の真打の先生、すべて初めて聞く話で気がまったく抜けなかった。

★★★講談協会定席 日本橋亭夜席(お江戸日本橋亭 17時31分開演)

●一龍斎貞奈 弁慶と牛若 五條の橋の出会い
●宝井琴屯 千葉周作 事の起こり
●田辺いちか 三方ヶ原軍記
●一龍斎貞鏡 左甚五郎伝 昇天の龍
●宝井一凛 池田一心斎 吉原総見
 松平定信の質素倹約を旨とする「寛政の改革」の影響は庶民の娯楽にまで及び吉原は衰退する。
 備前国から江戸を訪ねて来た一人の侍。日本堤で出会ったのが二八(にはち)という名の幇間で、彼に吉原を案内してもらう。侍は一番上等な店で遊びたいというが、金は1両きりしか持っていない。何も知らない田舎者とあきれる二八。1両でも遊べる店と、角町(すみちょう)の店を紹介する。侍は自身を池田一心斎と名乗る。一心斎は酒が強く、これでは二八の酒代も出ない。面白くない事だらけの二八はクドクド愚痴を言う。2人は夜更けるまで飲み明かした。翌朝、二八が起きると、一心斎は勘定の代わりに刀を置いていき、すでに帰ってしまっていた。
 数日経ち、備前岡山藩の藩主、池田治政(はるまさ)を駕籠に乗せた堂々たる供揃えの行列が吉原の町を祝儀を撒きながら練り歩く。一心斎とは仮の名で、彼こそ岡山藩31万石の大大名、池田治政公であった。この話はすぐに江戸の町に広まり、景気の良い話と江戸っ子は喜ぶ。しかしこれに怒ったのが松平定信。治政に蟄居を命じる。これに対し治政は庶民の娯楽まで奪う定信の政策を猛然と批判するのであった。
●宝井琴柳 国定忠治 小松屋鶴吉
 <仲入り>
●田辺凌鶴 鬼作左(おにさくざ)
 岡崎城徳川家康の家来、依田孫四郎は酒や女にだらしがない。家康を怒らせ、手打ちにされることが決まる。孫四郎の下郎、又七は重臣である本多作左衛門を訪ね、なんとか主人の命を助けて欲しいと嘆願する。これを聞き入れた作左衛門。家康には自分の屋敷で手打ちにすると話し、孫四郎、又七を自宅へ連れていく。手打ちは夜にすると、2人に御馳走をする。夜、裏口をわざと開けておいて、2人を逐電させた。翌日、作左衛門は2人に逃げられたと家康に告げ切腹して責任を取るというが、彼は家康お気に入りの家臣であり、切腹は押しとどめられた。
 孫四郎と又七は5年間浪々としていた。家康と秀吉の間で小牧山の戦いが起ころうとしている。又七は鎧・兜、それに「依田孫四郎討ち取ったり」と記した木札を沢山用意する。戦いが始まり、孫四郎は次々に敵方の首を討ち取り、それに又七が木札を付ける。
 戦いは家康方の勝利で終わり、家康は首実検をするが、孫四郎が討ち取った首は36個にも及び、この戦で一番の活躍である。しかし作左衛門から孫四郎は討ち死にしてしまったと聞かされる。家康は孫四郎を許し、もし生きていたならば千石の加増をしたであろうと言う。孫四郎の死骸が家康の前に運ばれた。作左衛門が「よみがえれ」と不思議な呪文を唱えると・・・。
●一龍斎貞山 雲霧五人男 因果小僧六之助殺し
 吉原江戸町二丁目に桔梗屋という女郎屋がある。主の五郎兵衛は遊女への面倒見が良く評判がよい。店も繁盛している。二階の座敷に因果小僧六之助という雲霧五人男の中の一人の盗賊の客がいる。男っぷりが良い美男子だが背中に塔婆に女の生首というおどろおどろしい彫物がある。6年前、雲霧五人男の頭、仁左衛門は真っ当な暮らしがしたいと子分たちに一人あたり2千両という大金を与え、それぞれ別れる。しかし六之助は遊興であっという間にこの金を使ってしまい、いまは桔梗屋の松前という花魁の元へ入り浸ってる。
 ある日、六之助は桔梗屋五郎兵衛の顔を見て驚いた。彼こそは6年前に別れたかつての頭、仁左衛門であった。
 本所・小梅で2人きりで再開する。仁左衛門は六之助に堅気の商売は出来ないだろうから廓の主になるよう勧める。仁左衛門の金で女郎屋を買い取り、新桔梗屋という名を付ける。六之助は名を「六右衛門」と改め、松前を女房にする。
 店は評判がよく繁盛する。六之助は仁左衛門に感謝し、最初のうちは慎ましい暮らしをしていた。しかし廓仲間に誘われたのがきっかけで再びバクチの世界にのめり込み、多額の借金を抱える。仁左衛門に相談し、店にいい女郎を揃えるためと50両の金を借りるが、これもあっという間にバクチで擦ってしまう。仁左衛門に諭されるものの、六之助は金の無心を繰り返す。
 そんなある日、仁左衛門、六之助2人で川崎大師へ詣でる事になった。夜、鈴ヶ森で仁左衛門は六之助の腹を切りつけ刺し殺す。
 (20時39分終了)

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