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1月14日 ながめ講談会@群馬、大間々の旅

 お江戸日本橋亭、神保町らくごカフェなどで講談の会を主催されている方が、群馬県の南東部にあるみどり市「ながめ余興場」で催す会の第一回目。ながめ余興場は昭和12年に建設された木造の芝居小屋で、花道・手動の廻り舞台など本格的な設備を整える。左右両側には桟敷席、そして二階席もあり客席数は650とかなり大きい。現在では市指定の文化財として保存・公開されており、大衆演劇が盛んだった頃の昭和前半のレトロな雰囲気を楽しめる。
 その講談会だが、人口数万の地方都市での集客は難しいようでお客の入りはまだまだといった状況。さらに暖房が効いてなくて場内は寒く、課題はいろいろとあるようだ。

★★★第一回ながめ講談会(群馬県みどり市・ながめ余興場 14時00分開演)

●田辺凌天 天下無敵流 後藤半四郎
●一龍斎貞弥 山内一豊の妻
●一龍斎貞橘 赤穂義士銘々伝 安兵衛高田馬場駆け付け
 <仲入り>
●一龍斎貞橘 太閤記の内 矢矧橋
(16時07分終了)

 ながめ余興場の外観。切妻の三角形が3つ対称的に綺麗に並び、正面玄関の堂々たる向唐破風が目をひく。なかなか見ごたえのある建造物である。↓

180114ながめ余興場

 ながめ余興場は「みどり市大間々」に所在する。2006年に大間々町(“おおまままち”と“ま”の字が3つも連続する)は周辺町村と合併し「みどり市」となったが、幼稚園じゃあるまいしこの市名はもう少しなんとかならなかったのだろうか。大間々は山間部を流れる渡良瀬川が平野に出るところに開けたいわゆる「谷口集落」で、古くから交易や商業の場として賑わった。また鉄道開通以前は、足尾銅山で産出した銅を「銅(あかがね)街道」を使って陸路運んでいたが、その中継地点「継場(つぎば)」でもあった。
 少し早めに駅へ降りたって、そんな大間々の町を散策する。

 JR桐生駅の約200m北側ある上毛電鉄「西桐生駅」。京王井の頭線のお古の車両に乗り、ここから5駅先の赤城駅で下車する。この近辺はJR両毛線、東武桐生線、わたらせ渓谷鉄道、そしてこの上毛電鉄と4路線が複雑に入り組んでおり鉄道ファンである私にも分かりにくい。赤城駅は元は「新大間々」という駅名で大間々の町の中心部の南側に位置する。駅のすぐ近くに、かなり以前に閉店したと思われる「レコードわおん」がある。店は廃墟状態だが看板等はそのままで、「ビクターの犬」と「わおん」というネーミングの組み合わせが面白くてカメラでパシャリ。↓

180114上毛電鉄赤城駅

180114レコードわおん

 大間々の町の中心部を貫くのは国道122号線でかつての銅街道である。この道は足尾を経由して日足(にっそく)トンネルを抜け日光市街地に至る。町の目抜き通りといえるが、道路に沿った商店街でシャッターを閉じたままの店が多いのは、今や日本国内どこでもお馴染みの光景。↓

180114大間々町並み

岡直三郎商店」は江戸時代後期創業の醤油醸造元で、現在の店舗は明治33年頃の築だそう。↓

180114大間々・醤油屋

町並みの中でひときわ目をひくのは「大間々博物館」。元は大間々銀行本店で大正10年の築。レンガ造りのように見えるが、実はこれはレンガ風のタイルを張ったものだとのこと。この博物館は愛称で「コノドント館」と呼ばれている。コノドントとは古生代から中生代にかけての魚類の歯の化石で、日本ではここからほど近い渡良瀬川の河岸で初めて発見されているそうである。↓

180114大間々博物館

 南北に延びる国道122号より700mほど西側を並行して走る道路。こちらも「銅(あかがね)街道」である。この沿道はかつての「桐原宿」であり、元は大間々宿の方が銅街道の継場であったが、1746(延享3)年にこちらの方へ移動したという。道路沿いには江戸時代後期に造られた銅問屋の「銅蔵」と、飢饉に備えて穀物を保管した「郷蔵(ごうぐら)」とが残されている。↓

180114桐原宿・沿道

180114桐原宿・銅蔵

180114桐原宿・案内板

 ながめ余興場のある場所から赤色の橋を歩き渡良瀬川の対岸へと渡る。左手の小高い山が室町期から戦国時代にかけての城跡で「高津戸城跡」。その西側の渡良瀬川が刻む深い谷が高津戸渓。先に記したコノドントの化石はこの付近で発見されているとのこと。↓

180114高津戸渓谷

 大間々駅に戻り、わたらせ渓谷鉄道で帰路につく。今回は短距離だけの利用だったが、沿線には(地味ながらも)訪ねたいスポットが数々ある。再度ゆっくりと乗車したいものだ。↓

180114わたらせ渓谷鉄道
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