記事一覧

12月13日 映画鑑賞「否定と肯定」

 年の瀬も迫りつつあるこの時期、今年初めて映画館で映画を見る。20年くらい前までは週に2~3回は劇場に通う映画青年で、生意気にもキネマ旬報の読者欄に投稿したりしていたが、最近は本当に映画を見なくなった。今日見たのは2016年公開のイギリス・アメリカ合作映画で「否定と肯定(原題:Denial)」という作品。つい最近この国でも、著名な美容整形医師である高須克弥氏がツイッター上でナチスによるホロコーストを否定する発言をして物議をかもしたが、その一件もあってこの映画を是非見たいと思った次第。
 広く歴史的事実として認知されていることに対する、否定論者とか歴史修正(改竄?)主義者とかは、学問や思想・信条の自由が保障されている国なら一定数は存在するものである。歴史学者等が時間をかけて丹念に調べあげその成果として認められた事実を、そういう人たちは「実はそうでは無い」と多分に願望を込めて否定する。強引なこじつけ、曲解、作為的な過大視あるいは無視、そして捏造。「自分の見つけ出した“真実”こそが絶対に正しい」という強くも歪んだ信念が、それら過誤や不正を頭の中で合理化する。彼らは不誠実からそういうことをするわけでない。「間違って流布されている“歴史的事実”を自分は正さなければならない」という強力な正義感・使命感が彼らなりにあるのである。
 何かの映画で「人間は事実を信じるのではない。信じたいことを信じるのである」というようなセリフを聞きかじったことがあった。自分(自分たち)にとって都合のいい事ばかり信じる、信じることが快感であることを信じる、確かにこれは不完全な存在でしかあり得ない人間の宿痾とでもいうべき偽らざる一面でもある。
 一方で、少し前ならまともな研究者から一顧だにされなかった、学問研究の成果というに値しないと言って過言ではないような、妄言とでもいうべきトンデモ論が、最近はネットの普及により何万、何十万と一気に拡散されてしまう。地道な作業で辿り着いた事実を、「願望=真実」と直結してしまうような浅はかな者たちが数と勢いでもって一蹴してしまう。もちろん、もはや人々の活動のあらゆる面に及んでいるネットの有用性を否定する気はない。だが最近のネットの世界の状況を見るにつけ、こんな無思慮をあっという間に増幅しうる装置を手に入れてしまった人類は新たな難題にぶつかっているようにも思う。

171213b否定と肯定




スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

非公開コメント